「おげんきですか」の通信を主に日常の活動を 時々 書き連ねています。
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市民劇場のお芝居で「日暮れ町風土記」の上演取り組みにあたり、
下田の森山家や、建て替え前の柿谷邸。弘井実チャン宅などの 旧家の写真をまったくど素人が会報に載せたり、古い写真展を 行ったが、今回専門家の案内で下田を廻る文化財敵的景観探訪 に参加することができました。時は 前月の30日、 教育委員会主催の第18回・史跡文化財探訪に参加 教育委員会の専門職員川村さんによる説明では現在車の走って いる道路は川であり、それに沿って回船問屋があった事。 四万十川の変化に伴って船着場が水戸に移っていった事。 下田は幡多の物資の集散地だけでなく、堺や京都とも、明の時 代の中国などともつながっていた。と四万十の歴史の深さを学び ました。 現地では高知からこられた建造物専門員さんの説明で、家の瓦 の葺き方、窓枠は洋風な造り、その中は純和風な造りなど、流 通文化をすばやく取り入れた大工さんの手で金に糸目を付けな い富豪商人の家や蔵が建てられた物が各所に残っており、ぜひ NPOを立ち上げて保存してほしいと熱く語っていました。 中村史誌にも記録されている上町(うえまち)の富豪の家はほ とんど姿を消しました。 参加していた下田の方は「早くこの話を聞きたかった、家を建て 直さずリホームも検討できたのに」と残念がっていました。 「日暮れ町・・・・」の芝居は愛媛県の保内あたりが舞台でしたが 文化的建造物や景観は意識していないと残せませんね。 下田は中村発展の要です、残していく方法探りたいと痛感しま した。 八月第一日曜はは奥屋内の毛利家などを訪ねるそうです。 残念本当に残念 会議の日で行けない。 とても貴重な体験できます、ぜひ参加お勧めです。 |
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